52│2025年12月21日

岡山バプテスト教会


「荒野に響く喜びの知らせ」

招きの詞 それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
聖書  イザヤ書7章14節

賛美礼拝

「荒野に響く喜びの知らせ」 マルコによる福音書 1章1-8節
 神の子イエス・キリストの福音の初め。…「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。…「わたしよりも優れた方が、後から来られる。…その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
建物も草木もないような荒野では、飢えや渇き、不安や孤独に直面します。私たちは、ふとした瞬間に住まいや持ち物を他人と比べてしまうことがあります。それでもヨハネは自らの意思で、荒野に身を置いて語り続けました。人の力や評価から離れた場所で、神の声に耳を澄ますためでした。周囲を見渡しても何も無い状況だからこそ、目に見えない神と向かい合う時となるのです。私たちの人生でも、心が乾いて孤独の中を生きていると思う時があるかもしれません。それでも主は、他に頼るものが無い荒野で、主にある希望と喜びの知らせを響かせてくださるのです。
 失敗や挫折に打ちひしがれても、罪の負い目に苛(さいな)まれても、主は喜びの知らせを新たに響かせてくださいます。人の目には終わっているかのような所でも、主は諦めることなく、私たちに語りかけ続けてくださるのです。先にも進めず、後にも戻れない、荒野のただ中にいる時にも、主こそが近づいて救いの道に導いてくださいます。エジプトからの脱出も、バビロン捕囚からの解放も、自分たちの力ではなく主の憐みでした。目に見えるものを頼りにするよりも、本物の権威と力ある主を頼る生き方へと招かれています。主は、何度でも立ち帰る道を備えてくださいます。   杉本 拓哉