招 詞 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
聖 書 使徒言行録 9章3~6節
聖 書 テモテへの手紙一 1章12~20節
説 教 「偶然と過ちの中に」 伊藤聰牧師
「偶然と過ちの中に」 使徒9章3~6節
キリストが「わたしを強くしてくださった」、キリストが「わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださった」と言って、パウロは感謝をささげています。しかし、復活のキリストに出会う前も、パウロはすでに「強い人」でした。律法主義者として揺るがぬ信仰に立ち、律法に反する者を裁く明確な意思を持ち、人々を感化、統率する熱意に満ち、自分の計画を実現できる人でした。また、誰よりも律法に忠実であり、律法主義者の間では認められた人物でした。しかし、復活のキリストとの突然の出会いによって、すべては覆されました。パウロは、偶然の出会いを通じて、自己の過ちを知り、ほんとうの強さと新たな任務を与えられたのです。それは、パウロにとって分不相応でしたが、あふれる恵みとして与えられ、パウロを圧倒しました。そうなったときに初めて、パウロは自分の器の小ささと欠点を知り、自分の過ちが何であったのかを捉えることができるようになったのです。だから、「罪人の中で最たる者」というパウロの振り切った自己評価は、逆に、神のあふれる恵みを証ししているのです。
「正しい良心」とは、自分の目で確かめ、新たな認識を得る働きのことを指します。判断を人任せにし、自分の都合のよい方向に流されていくのではなく、偶然の出会いの中に新しい宝を見出し、これまでの過ちを明確にして、軌道修正できるのが「正しい良心」の働きなのです。私たちは、自分の計画通りになんでも実現できる力を追い求めますが、神のご計画は、私たちにとっては偶然に見える出来事、ときには人間の過ちの中にさえ示されることがあるからです。