招詞 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
聖書 コリントの信徒への手紙一1章21節
説 教 「未完の福音」 伊藤聰牧師
聖 書 マルコによる福音書16章1-8節
【マルコ16章1-8節】「未完の福音」コリント一1章21節
現在、私たちが手にしているマルコ福音書は16章20節までありますが、マルコが記した当初の本文は16章8節で終わっていました。16章9節以降は、後の時代になって書き加えられたものです。つまり、最初のマルコ福音書には、復活のイエスと出会う場面は一切描かれておらず、女性たちが墓の出来事を見て正気を失い、逃げ出した場面で終わっていたのです。しかし、その後、この女性たちがイエスの復活を信じたからこそ、福音を証しする共同体が生まれました。マルコ福音書に記されたのは「信じる前」の出来事だったのです。一方、復活されたイエスが人々と出会い、共に働き、証しする福音は、今もなお人々の間に起こり続ける「生きた」出来事なのです。このように、マルコ福音書は未完の福音書であり、私たちの時代にまで途切れることなく続く福音書であるといえるでしょう。
墓というのは非日常的な場所です。墓で非日常的な体験をし、「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と告げられた女性たちは逃げ出しました。しかし、なお命じられた通りにガリラヤに帰ったのです。ガリラヤには日常があり、一人ひとりが生きるべき人生がありました。墓ではなくガリラヤで、彼女たちは復活されたイエスと出会うことができました。歴史的な出来事とは、つまり過ぎ去った出来事です。しかし、復活したイエスの働きは過ぎ去った出来事ではなく、現在もなお、私たち一人ひとりが日々生かされる体験の中で見出すものです。マルコ福音書の強調点はここにあります。かつて女性たちが再会したイエスと、今日私たちが出会うイエスとは、まったく同じ、復活されたイエスなのです。 伊藤聰牧師