15 │2026年4月26日

岡山バプテスト教会


招きの詞 だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」
聖書  マルコによる福音書2章21~22節

説  教 「日々新たにされ」 伊藤聰牧師 
聖  書  テトスへの手紙 3章1-11節
 「日々新たにされ」 マルコ2章21-22節
テトスへの手紙が書かれた時代、クレタの教会はそれまで経験したことのなかった新しい課題に直面していました。それは、3章10節で「分裂を引き起こす人」と呼ばれている人々の出現です。この人々は、後に「異端」と呼ばれるようになり、基礎が据えられたばかりの教会を内部から揺るがし、長い間苦しめました。教会は苦しみの原因を内部に抱えていたのです。
自分の業が「義の業」であると信じていても、それは、その人が知り得た狭い世界の中で、その人なりに成し得た成功体験に過ぎません。自分の業が、神の「義の業」であると誰が証明できるでしょうか。だから、私たちは互いに「そしらず、争いを好まず、寛容で、すべての人に心から優しく」向き合う必要があるのです。自分の「義の業」に執着するとき、必ずと言ってよいほど私たちは道を誤り、人々の間に分断を招くことになるからです。自分の「義の業」に軸を置いて生きることをやめ、神の「憐れみ」に軸を置いて生きることが救いへの道なのです。人間の「義の業」は、時代の変化や人々の価値観と共に遷り変っていきますが、神の「憐れみ」はいつの時代にも変わることがありません。
イエスは、「新しいぶどう酒を古い革袋に入れてはいけない」と譬えを語られ、人々を戒めました。古いぶどう酒や古い革袋を軽んじているわけではありません。古いぶどう酒も、新しいぶどう酒も神の恵みです。そして、新しいぶどう酒を作るためには、新しい革袋を用意する必要があるのです。過去の成功体験をいったん脇へ置き、神の「憐れみ」に信頼して、新たな業を始める必要があるのです。