週 句 真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
聖書 エフェソの信徒への手紙4章24節
説 教 「教会らしいこと」 高橋周也牧師
聖書 使徒言行録6章1~7節
「創造され続けているがゆえに」
あるカルト宗教についての報道が続いています。当該宗教は組織的に信者に対して過度な献金や働きを強いたり、「救い」や「祝福」の条件を提示し、その教義によって信者を脅したり競わせたりすると言われています。一部の人の利益のために、飢え渇いている人を巧みに操り、さらに苦しめてしまうのです。
では、キリスト教はどうでしょうか。教会が(つまり、私たち一人ひとりが)、「神の言葉をないがしろにして」(2節)しまうならば、その途端に福音は後ろに退けられてしまうでしょう。奉仕からも愛や思いやりが失われてしまい、さながらブラック企業の労働のようになってしまうかもしれません。けれど、私たちは誰かの利益のため、自分自身の救いのために伝道するのではありません。(もちろん教会の維持のためでもありません)
「人はパンだけで生きるものではない」(ルカ4章4節)。心と魂も潤され満たされる必要があります。礼拝で人は人間を回復するのです。それは今も続く神様の創造の業なのです。教会は神様のものであるという事実が、私たち自身と、世の人々を守ります。私たちは神様の業の参加者であり、また、目撃者として生きるよう召されているのでしょう。
イエス様は私たちと共にいて、私たちを私たちらしくあらせてくださいます。そこでは誰一人「軽んじられ」(1節)てはなりません。本日の箇所は改めて私たちに、神の民が何を第一として生きるのかを教えてくれているように思います。