招きの詞 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。
聖書 マタイによる福音書 18章18-20節
説教 「三つよりの糸」 杉本拓哉協働牧師
聖 書 コヘレト4章1~17節
「神の時の中」
朝晩の涼しさに、秋の訪れを感じます。季節が移り変わる時を、自然は静かに告げています。人生にもまた、喜びの時、涙の時、笑う時、黙る時があります。けれども、私たちは思い通りに「時」を選ぶことはできません。特に、大切な家族や友人との別れは、心を引き裂くような悲しみをもたらします。思わず「なぜ今なのか」「なぜこの人なのか」と問いかけずにはいられません。
イスラエルの歴史もまた、周囲の大国に翻弄され続けてきました。より大きな武力によって、正義が反転する姿を目にする機会もありました。自由と自治を求めた戦争であったとしても、命は失われ、農作物は奪われ、家屋も壊されてしまいます。そのような極限状態において、私たちは何を大切に生きるのでしょうか。コヘレトは神を見上げ、神の定める時に信頼し、賜物としての生涯に幸せを見出します。私たちは、神から託された束の間を生きています。時に選択肢を間違えてしまうこともあるでしょう。それでも神は、全ての時の責任を、全ての罪を引き受けてくださいました。今日という時も、与えられた命も、出会いも全て神の時の中にあります。自分の力ではどうしようもできない時こそ、「神の時」が私たちの支えとなり、希望となるのです。