週 句 神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
聖書 エフェソの信徒への手紙3章19節
説 教 「イエスの最後の言葉とは?」西原 寿
聖書 詩編22編2~6節、25~32節
「神の沈黙」 佐野清文
詩編22編の詩人は、バビロン捕囚の時代に解放とエルサレム帰還を訴え、拘束され、処刑されたともいわれています。
詩人は拘束されます。しかし、「呼び求めても答えてくださらない」(詩編22:1)と神に訴えます。神は沈黙したままです。今までの歩みを思い返します。「助けを求めてあなたに叫び、救い出され あなたにより頼んで、裏切られたことはない」(詩編22:6)と。そして、いつしか賛美に変わります。「貧しい人は食べて満ち足り 主を訪ね求める人は、主をさんびします。いつまでの健やかない命が与えられますように」(詩編22:27)と、賛美とともに祈ります。
イエスさまの弟子たちはその詩人とイエスさまの十字架を重ねて見ます。マタイによる福音書でイエス様は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と叫ばれたとあります。その嘆(なげ)きの捉え方は信仰により様々です。パウロは、「このお方が、十字架の上でわたしたちの嘆きと不信仰を背負ってくださった。そして今もわたしたちと共に生きてくさっている」と考え、福音を伝えることに命をささげました。そして、その生き方は、詩人やイエス様のようになりました。
私たちの生き方はどうでしょうか。先人のように未来に向けた歩みができれば幸いです。