招 詞 恵みと慈しみを追い求める人は、命と恵みと名誉を得る。
聖 書 箴言21章21節
聖 書 テモテへの手紙 二 2章1~13節
説 教 「このキリストと共に」鮫島泰子牧師
わたしの言うことをよく考えてみなさい。主は、あなたがすべてのことを理解できるようにしてくださるからです(7節)。私たちは、神さまの御心を知ろうとして聖書を読みます。でも、漫然と字ずらを追っていたのでは理解できないどころか、余計に訳が分からなくなって、ついに諦めて読むこと自体を止めてしまうかも知れません。昔、ある神学者が「聖書を読むには、聖書専用のメガネをかけないと」と、その著書に書いておられたことを、印象深く思い出します。さて、では聖書専用のメガネをかけて読む、とはどういう読み方なのでしょうか。それは聖書の言葉を、過去の学びの記憶や固定観念、あるいは先に注解書を読むなどして得た解釈、それやこれやの「予備知識」や「先入観」を一旦すべて心から取り払って、真っ白な心で読んでみる、ということだと私は思っています。宣教研究所の朴先生は、「よく知っている聖書箇所でも、初めてそれを開いたような気持ちで」と言っておられます。そのようにして読むと、どの部分が心に残るのかが、その時々によって違って来るのです。また、何十回読んで来たかと言うほどに親しんでいるはずのみ言葉が、これまでとは全く違って聞こえて来たりもするのです。み言葉は生きて働く、とはよく言われますが、それを実体験しているかのように、み言葉が新鮮に聞こえてくるのです。他ならぬこの私にだけ語られているかのように聞こえ始めるのです。そして自然に祈り心が生まれて来る。祈りの言葉が与えられて、祈りたくなるのです。こんな体験はそう度々味わえるわけではありません、し、そんな黙想が湧いて来るまで待つ時間もそうそうは取れないのですが、それでも、心の餓え渇きを覚えた時、み言葉が砂を噛むように味気なく感じられた時には覚悟を決めてみ言葉に向き合ってみる。きっと何かが変わっていくと思います。鮫島泰子牧師