25 │2026年7月5日

岡山バプテスト教会


招 詞 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
聖 書 ヨハネによる福音書15章16節

説  教 「祈りの担い手」伊藤聰牧師
聖  書  サムエル記上 1章1~20節

ハンナは憎しみによって行動するよりも、神の前に祈ることを選びました。「主は命を絶ち、また命を与え、陰府に下し、また引き上げてくださる。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めてくださる。」ハンナは、憎しみも呪いも、いずれは自分に返ってくることを知っていました。すべては神のみ手の内にあるからです。だから、苦しみの原因であるペニナに憎しみをぶつけるよりも、むしろ主をたたえ、み前に喜ぶことを選んだのです。私たちは感情を押し殺したり、無理に場の空気を読んだりする必要はありませんが、感情にとらわれてしまわないように、自分自身の声に耳を傾け、自分を見つめ直すことが大切です。祈っても神は何も答えてくださらないと感じるかもしれません。しかし、「“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成して」くださるので、その祈りは必ず何らかの結果をもたらすのです。
ヨハネ福音書15章16節で、イエスは「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と言われ、「わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命した」とその理由を説明しています。エジプトで奴隷であったイスラエルを神が選び出されたように、いま苦しみにとらわれ、悩みと悲しみを背負わされている一人ひとりをイエスは選び出し、イエスと共に祈る大切な働きを託されているのです。イエスと共に祈る私たち一人ひとりの祈りが、神の国を実現させる大きな力となるからです。 伊藤聰牧師