26 │2026年7月12日

岡山バプテスト教会


招 詞 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
聖 書 使徒言行録16章31~34節

宣  教 「話されたのは主」 鮫島泰子牧師
聖  書 サムエル記上3章1~18節

「主の手に委ねて」
 ヨシュアの死後、力強い霊的指導者に恵まれなかったイスラエルの凋落は、坂道の勾配を増すように静かに、しかし確実に加速していきつつありました。天の神さまはそんなイスラエルに、祭司であり最後の士師にして最初の預言者とも言われるようになる「サムエル」をお遣わしになるのです。当時祭儀の中心地であったシロの神殿にて、主のみ心によって、養父であり師匠でもあったエリとその弟子サムエルが聖職を交代していく様子。まだ幼さの残るサムエルに主が命じられた過酷な宣告と彼の苦悶。弟子の口によって告げられた一族断絶の主の宣告を静かに受け入れて死を覚悟するエリ。私たちが現代に生きつつ聴くべきメッセージがたくさん含まれているテキストです。
 エリ自身の信仰、祭司職に対する真摯さ、人間性、倫理観…。これらは主の目に適っていたと私は思います。しかし二人の息子は明らかに悪事に対して無自覚で無反省で、倫理観にも欠けていました。子育ての責任が全て親にあるとは言えないものの、子が親から受ける影響の大きさも無視できるようなものではありません。主は、二人の息子の故に、エリとその家を永遠に裁く決意をされました。そしてこれをエリに告げる役目をサムエルにさせようとなさるのです。主はサムエルの名前を呼ばれた。しかし主の御声を聞いたことのないサムエルは何度も師匠の許へと駆けつけてしまいます。エリは、サムエルを呼ばれたのが主であるのを悟りました。そしてサムエルに「主に対する応答の言葉」を教えたのです。エリは更に、主が語られたことはひとつ残さず自分に伝えるように、とサムエルに命じます。「聞く者の両耳が鳴るような言葉」を師匠に告げなければならないサムエルの辛さは如何ばかりであったでしょうか。けれどもエリは、「主の御目にかなう通りに行われるように」と自ら罪を認め、心静かに願うのです。 鮫島泰子牧師