招 詞 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
聖 書 ルカ 12章 31~32節
説 教 「ゆだねられているもの」 伊藤聰牧師
聖 書 マルコによる福音書16章1-8節
「ゆだねられているもの」ルカ12章31-32節
「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださった」と手紙は力強く告白し、私たちを励ましています。私たちはどのようなときに「おくびょう」になるのでしょうか。痛みや苦しみを経験し、恐れを覚え、再度また苦しめられることのないよう、前もって避けるために私たちは「おくびょう」になります。しかし、前もって避けようとする行動は、私たち人間の反射的な行動に過ぎません。私たちに痛みや恐れを植え付けるのは、この世で私たちよりも力のある存在であり、暴力や財力を用いて私たちを「おくびょう」にします。私たちが「おくびょう」になることは、場合によっては、この世の力に迎合することにも繋がるのです。人間ですから「おくびょう」になるのは仕方がないことですが、聖霊の導きであるとはいえないでしょう。
一方、「力と愛と思慮分別の霊」というのは、痛みに苦しめられ、恐れの中に置かれていても、なお、何が神のみ心であるのかを見極めようとする霊です。そのためには、まず、耐え忍ぶ愛が必要であり、さらに、この世の力にとらわれない、自由な思慮分別が必要となるのです。私たちは聖霊に「力」を求めます。しかし、その「力」は、この世の力とは異なる力であることを忘れてはいけません。
手紙ではさらに、「あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい」と命じられています。このような聖霊の力をいただいて、私たちが守らねばならないものとは何か、宣教の中でご一緒に考えていきましょう。 伊藤聰牧師