招 詞 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」
聖 書 ルカによる福音書13章6~9節
説 教 「参加する価値」 伊藤聰牧師
聖 書 テモテへの手紙二 4章1~8節
巻頭【テモテ二4章1~8節】 「参加する価値」 ルカ13章6~9節
初代教会の信仰を支えていたのは、復活されたイエスと聖霊降臨を体験した使徒たちの教えでした。そして、近い将来にはキリストが再臨し、共同体全体が同じ体験にあずかり、救われることを希望としていたのです。ところが、一人また一人と使徒たちが召されていき、期待された再臨も起こりませんでした。求心力を失った教会は、ギリシャ思想をはじめとする多様な世界観に翻弄され、分断に悩まされるようになります。このような「異端」の時代を迎えてなお、教会を教え導かねばならなかった宣教者たちを励ますため、「折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」、「どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい」と述べられているのです。
後半、6節~8節の主題は「自分を献げること」にあります。日本語の「いけにえ」という言葉は「犠牲」を連想させるため、ネガティブな印象を受けるかもしれません。しかし、ここで言われているのは、損得抜きに自分自身を与える生き方のことです。神が私たちに求めておられるのは、神と隣人を愛する「実り」なのです。私たちは、どんなに努力しても思い通りの結果が手に入るわけではありませんが、結果が思い通りでなかったとしても、神は信じる者に愛する「実り」を与えてくださいます。私たちが本当に必要としている「実り」を神は知っておられるからです。思い通りの結果が得られないときにこそ、自信を失わず、冷笑的にならず、愛し続けるならば、神は豊かな「実り」を授けてくださるのです。