37│2025年9月7日

岡山バプテスト教会


招きの詞  神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。 だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです
聖書  Ⅱテモテ1章7-9a節

説教 「神が共にいるのだから」 杉本 拓哉 協働牧師
聖書  ヨシュア1章1~9節
「最上のわざ」
『人生の秋に』ヘルマン・ホイヴェルス
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物。古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。手は何もできない。しかし、最後まで合掌できる。愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、終末の床に神の声をきくだろう。
『来よ、わが友、われなんじを見捨てじ』と。