週 句 イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。
聖書 ヨハネによる福音書5章6節
説 教「ゲッセマネの祈り」 杉本 拓哉
聖書 マタイによる福音書 26章36-46節
「罪に死に、神に生きる」【ローマの信徒への手紙六章一十四節】
限度額の無いクレジットカードを譲り受けたら、際限なく購入するでしょうか。何をしても赦されるならば、欲求を叶えるために犯罪行為をするでしょうか。もしそうであれば、愛と信頼を 誤用してしまっていると言わざるを得ません。愛情に不安を覚える人は、相手が困るような言葉や行動をして、どこまで赦されるかを探る「試し行動」をしてしまうことがあります。
それでも「神様はどこまで自分を愛してくれているだろうか」と、神の愛を測らなくて良いのです。なぜならイエスは、あなたを罪から救い出すために、十字架で命を懸けてまで愛を示されたからです。
イエスを救い主と信じる人は、バプテスマという儀式を受けます。全身を水に沈められることで、イエスと共に死んで葬られることを表します。そして水から起き上がらされることを通して、イエスと共に復活の命に生きることを証しています。だからといって、私たちを再び罪の支配下に引きずり落とそうとする、誘惑が無くなるのではありません。自分の力で、薬物やお酒、ギャンブルやゲーム、S N Sや人間関係の依存から抜け出すことは 困難です。しかし、神や人との関係を破壊してきた罪にイエスと共に死ぬ時、主にある命の恵みを見出すことになるでしょう。杉本 拓哉牧師