週 句 まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。
聖書 アモス書5章4節
説 教 「腹を立てることありますか?」 高橋周也牧師
聖書 マタイによる福音書21章12~17節
「新しい季節のために」
イエス様からふたりの弟子が遣わされて、ろばと子ろばを引いて来ます。その弟子たちが誰なのかは書かれていません。この時代に教会に通っている私たちは、ひょっとすると、イエス様からそれを命じられるような人たちかもしれません。
ふたりは、なかば強盗のようにろばを連れて来る奉仕をする羽目になるとは、考えてもみなかったことだろうと思います。もっと大事な役割のために、イエス様と一緒に旅をしてきたはずなのにと、がっかりしていたかもしれません。それぞれに人生賭けて、家族と別れもして、イエス様に従ってきたのです。その「結果」・「報い」を期待し始めたこの時、こんな「大暴れ」を見させられるとは、誰が予想したでしょうか。
イエス様は、神殿にはびこる政治的・宗教的権力をひっくり返しました。ユダヤ教を攻撃するためではなく、本来の姿に立ち返るためにです。
キリスト教信仰に、文字通りの神殿はありませんが、私たちの礼拝は、その形を変えて、私たちに継承されてきたものです。礼拝/祈りは、本質的に、私たちがそれを通して、いつでも”腰掛け”をひっくり返される可能性があるものです。信仰とは旅の連続だからです。
岡山バプテスト教会は、まもなく新しい季節を迎えます。私たちの希望は、たとえ起こる出来事の意味がすぐに私たちにはわからないとしても、必ずもっとよい方向へと導かれるための主の御業であるということです。私たちがすべきこと/すべきでないこと、やりたいこと/そうではないこと、そして、できること/できないこと・・・少しずつ祈り始めましょう。