週 句 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
聖書 エゼキエル書36章26節
説 教 「『正当』のイメージ」 高橋周也牧師
聖書 マタイによる福音書20章1~16節
「信仰は『受ける』の旅」
イエス様のご受難を覚えるレントの時期に入りました。祈祷会で読み進めてきたレクティオ・ディヴィナの学びにおいても、最近、受難について、改めて教えられました。受難の中心点は、私たちがつい注目して中身を問いたくなる「難」にではなく、「受」の方にあります。この時期に自分の好物を控えるなどして過ごす方々もおられます。そのようにして「苦しみを覚える」ありかたもありますが、私たちに起こることを真正面から「受ける」ことを大切に意識して過ごすのもよいのではないでしょうか。
以前にもお話したことがありましたが、イエス様の譬え話(パラブル)は、「例えばの話」ではありません。道徳や教訓を示すものとも限りません。基本的には、私たちに問いかけ、揺さぶりをかけ、私たちからイメージや言葉を引き出させようとする、当時の話の展開の仕方です。ですから、今日の箇所の出発点は、私たちのモヤモヤです。また、「天の国は次のように譬えられる」とは、「天の国と比べてみよう」という意味でもあります。
さて、私たちはありとあらゆる出来事に見舞われます。思いがけないことも数多い。人間であるからこそ、私たちはその理由を知りたくなるし、神に不平を申し上げたくなることすらあります。しかし、人間であるがゆえに、本当には、その真理にたどり着くことはできません。いつかはわかるかもしれませんが、少なくとも、私たちは「今、ここ」を問われています。
受けたものを与えられたものと見る時、あれがあるからこれがないからではなく、神を、互いを、信頼して生きる道へと招かれていることに気づくと信じます。けれど、無理やりまとめようとも思いません。共に信仰の旅路へと歩みゆきましょう。