週 句 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。
聖書 ルカによる福音書17章20-23
説 教 「ノアの物語」 本山大輔牧師
聖書 創世記6章9節~7章24節
教会堂の形-「縦型」か「円形」か-」
プロテスタント教会の多くでは、会堂の形が「縦型」かつ「教室型」であることが一般的です。この背景には、プロテスタントの礼拝では説教者が会衆に向かって語りかける形式が重視されるためです。一方で、近年カトリック教会や一部の教会では「円形」や「正方形」の礼拝堂が増えてきています。この形式は「集中型」とも呼ばれ、会堂の中央に講壇、聖餐台、洗礼盤が配置され、「会衆」がそれを囲むように座る形式です。これにより、会衆全員が礼拝に積極的に参加し、一体感を持って礼拝を捧げることが強調されます。このように、礼拝堂の形状は単なる建築的選択ではなく、その教会がどのような礼拝観を持っているかを表現する手段でもあります。
岡山教会が新会堂建築のプロセスで最も重要なのは、岡山教会がこれまで大切にしてきた礼拝の内容と形式を振り返ることです。会堂建築は、単に未来への投資ではなく、「過去」の積み重ねと「未来」への希望との間で起こる重要な行為です。教会の建物は、内外の人々に対してその教会が何を信じ、どのように神を礼拝しているかを伝える象徴でもあります。そのため、他の教会のデザインや形式を単に真似たりコピーしたりすることは避けるべきです。一度建てられた会堂は少なくとも50年以上にわたって岡山教会の礼拝の中心となり、もし他の教会のイメージをそのまま採用してしまうと、岡山教会ではない教会のイメージが、今後、岡山教会の礼拝を形作ってしまうことになります。
どんな形を選ぶか、それ自体は自由です。しかし、その選択には必ず岡山教会の礼拝観や信仰の核心が反映されていなければなりません。どのように岡山教会の信仰と礼拝を体現するかが問われるのです。新会堂建築には岡山教会が培ってきた礼拝の伝統や信仰をもう一度深く見つめ直し、自らの礼拝のあり方に最もふさわしい会堂の形を見つけることが求められているのです。 (本山大輔)