37 │2024年9月15日

岡山バプテスト教会


週 句 
人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、
明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
聖書   マタイによる福音書10章26~28節

説 教 「『サクセスストーリー』の舞台裏」  高橋周也牧師
聖書   創世記41章37〜57節

「負からの挑発」
 『ぼそぼそ声のフェミニズム』の著者である文筆家の栗田隆子さんが、ご自身の属性を「負」と表現していることに驚かされました。いまはコロナパンデミックを経て、失職し、生活保護を受給し、障がい者年金を受けている、そのご自分は、「登校拒否(不登校)をして以来、社会的にはいわゆる『負』のイメージのつく属性になった」とおっしゃるのです。その「負」の属性を名乗ることで、相手の出方をみてやろうという挑発的な気持ちになることがあるとのこと。実際、あからさまにバカにしてきたり、妙な気遣いをしてきたりする人がいるようです。ご自分の「無力」さ、自分自身ではコントロールできない思い通りにならないこと、こうありたいと願うこととはまったく違うものに導かれて、それを受け入れなければならない。その時、露わになった事実に対して、受け入れるだけではなく、「自分で決める」ことが必要になる時がある。思いがけないことにばかり出会うことが「神と共に歩むこと」なのだと、ある雑誌に記しておられました。
 創世記41章で、ヨセフ以外にはファラオの夢の「意味を告げ得る者がなかった」のは、ファラオの周辺にいた魔術師たちが能無しで、ヨセフだけにその能力があったり賜物が与えられていたりしたからというよりは、魔術師たちは御用学者のような立場であり、夢の意味を告げたくなかったのだとする説があります。ヨセフが忖度なしにファラオに夢の意味を告げたのであれば、それは、穴に投げ込まれ理不尽に強いられた異国での生活、不当な訴えによる投獄を経た「負」の立場からの挑発とも言い得るのではないでしょうか。