36 │2024年9月8日

岡山バプテスト教会


週 句 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。
聖書   ヘブライ人への手紙11章1節

聖書朗読 創世記39章19~23節
説 教 「監獄での奇跡」 高橋周也牧師

「委ねる」
 私たちの教会では新会堂建築を志していますが、毎週の礼拝でそのために祈る時間を持つことにした時、トントントンの会(建築委員会)のメンバーの方々が、その祈りの一行目に、「神様の御心が実現しますように」と掲げてくださいました。私は牧師として大変感激しただけでなく、この祈りを忘れない限り、このプロジェクトは、どんな道を経ていかなる状態に導かれゆくことになるとしても、必ず、建物という外面のこと以上に霊的な意味においてもこの教会の建て上げとなる、新しい道が開かれゆくことになると確信しました。同時に、「御心とは何か」を問い続ける謙虚さとオープンさを養われ、より風通しのよい交わりになるよう心がけたいと思いました。
 創世記39章で、主人ポティファルや監守長らがヨセフに本来自分たちが管理すべき事柄や人のことを委託した(委ねた)ということが注目されることは少ないかもしれません。今日の説教でもほとんど扱いません。彼らにそのつもりがないとしても、その「委ねる」という言葉は、私たちが信仰の姿勢として、神様の御心の実現を願うことと繋がりがあります。つまり、私たちは祈る毎に、神様に委ねるという決断をしているのだからです。
 「委ねる」とは、相手に与える/任せきりにしてしまうという意味ではありません。ということは、監守長のように「一切目を配らなくなる」というのは、本来の委ねるではないのか?そうは言いきれませんが、これは関係の言語で、相手をあるいは互いを積極的に信頼するという意味です。相手が神の場合、積極的に導きを求め続けていることによって、神が与えてくださる事柄や状況を受けることができる者として歩むという意味です。主は共におられ、全てをうまくお取り計らいくださいます。委ねて歩み続けましょう。