週 句
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
聖書 マタイによる福音書7章7~8節
説 教 「涙の果てに」 高橋周也牧師
聖書 創世記37章18~36節
「スンッとしない」
聖書箇所は、今週からいわゆる「ヨセフ物語」に入ります。聖書の中で「最も優れた文学作品の一つ」と評されることもある物語ですが、37章・この物語の序章から、既に相変わらず人間関係はドロドロとしています。その境遇や起こった事件は、今日風に言えば「機能不全家族」「殺人未遂」「人身売買」であり、主人公ヨセフがであう理不尽は、主題であろう「夢」や「着物」のこと以外にも、人間の現実を残酷に描いているとも感じられます。当然私たちは福音を求めて聖書を読むでしょう。救いようのなさそうで絶望的な登場人物たちにも「主が共におられた」ということが、ヨセフ物語全体で何度も繰り返されることでありますけれども、しかし、37章にはそれすらもありません。
こうした謎に向き合う時、最も危険なのは「スンッ」の態度です。つまり、違和感を言葉にせず黙り込み諦めてしまうこと。聖書に対して、物分かりのよい読者になるということです。言い換えれば、神に忖度することは危ないのです。なぜなら、神はいつも人間の対話と格闘の相手として、私たちと共にいること、また、人と人を共におらせることを望む方だからです。神はご自身の夢を聖書の民・教会に託しました。どうにもならない状況に対して、「神よ、なぜですか」と涙をもって問い続ける時、世界は一歩ずつ変わるし、その人自身、本当の喜びを生きるようになるのではないでしょうか。
ところで、新一万円札の顔・渋沢栄一は、このような言葉を遺したと言われています。夢なき者は理想なし、理想なき者は信念なし、信念なき者には計画なし、計画なき者には実行なし、実行なき者には成果なし、成果なき者に幸福なし。ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず―信念という言葉は、英語では信仰とイコールです。そう読み替えると、非常に示唆的です。