週 句 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
聖書 ヨハネによる福音書3章16節
説 教 「私は救い」 西原 寿
聖書 ヨハネ3章1節~21節
「600メートルの違いで」
太平洋戦争で唯一地上戦の戦地となった沖縄。米軍が沖縄本島に上陸したのは1945年4月1日。上陸地点は読谷村(よみたんそん)から嘉手納(かでな)にかけてでした。米軍上陸を事前に察していた日本軍は海岸線で迎え撃つ作戦をとらず、部隊を南部方面に引き上げさせたため、無血上陸を果たした米軍を迎えることとなったのは、日本軍に置き去りにされた読谷村(よみたんそん)の村民でした。
山岳地帯の殆ど無い沖縄本島では米軍上陸に対して避難できる防空壕としての逃げ場は、サンゴ礁が隆起してできた、島の方言でガマ(鍾乳洞)と呼ばれた洞窟でした。そこで、出来事は起こりました。
一つはチビチリガマの出来事です。米軍上陸地の浜から600mほど入った場所にチビチリガマがあります。100人も入れば肩を触れ合うほどで内部はアリの巣のようです。米兵がやってきて、入り口で「デテコイ」「デテコイ」と叫びました。ガマの中に従軍看護婦の上地春さんという若い女性が大きな声で「神国日本の国民たるもの、アメリカに怖れるな、戦え」と叫びました。そして、4月1日時点でガマに入っていた139人の内82人の村民が集団自決し命を失いました。
もう一つは、シムクガマの出来事です。チビチリガマからさらに600mほど内部にあるガマです。チビチリガマを通過した米軍は、シムクガマにやって来ました。このガマは巨大なガマで1,000人余の村民が避難していました。この中にハワイ移民から帰って来た英語の話せる北嘉平治さんがいました。「私がアメリカ軍と話してくるからじっとしていてほしい」と言って、話に行きました。アメリカ軍は「手向かいしない限り殺さない」と約束し、捕虜となって助かりました。
わずか600mの間で明と暗が起こりました。(お話しに続く) 西原寿