週 句 良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか
聖書 ローマの信徒への手紙10章15節
説 教 「気になるかかと」 高橋周也牧師
聖書 創世記25章19~34
「曖昧なストーリー」
7月から『聖書教育』誌の箇所に沿って、創世記の中の「族長物語」と呼ばれる箇所を読み進めていきます。12章以降の神の民イスラエルの歴史の始まりのドラマです。今日の25章はもはやその途中ですが、聖書ではこの後ずっと神様のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼ぶようになりますから、族長物語は大変重要なのです。
初代アブラハムの妻サラがもうだいぶ高齢になってからようやく産んだ大切な後継ぎがイサクです。そのイサクとリベカの間には、しばらくの間、子どもが生まれなかった。ふたりの出会いと結婚は美しいシーンだったのに、ここから先は、どちらかというとドロドロとした人間模様が描かれていきます。つまり、登場人物たちは、素晴らしい人たちではなく、私たちのようなごく一般的な人たちなのです。ですから、それぞれに長所があり課題を抱えながら、ビジョンを持ち神に仕えようという信仰があると思えば、利己的に自分の保身や立身出世を考える。責任を与えられては失敗する。そうしながら、一応神の民として使命まっとうのために善処しようとした人たちだとも言えます。登場人物が普通であるだけに、私たちには読後にモヤモヤが残る可能性もあります。
そういうなかで、登場人物自身も、私たち自身も、そこで、間違いを正当化しようとしたり、無理に結論を見出そうとしたり、教訓を得ようとしたりするのかもしれません。けれども、本当はそうする必要はありません。曖昧なものは曖昧なままなのが、本当の神の民のありのままの姿であり、そのストーリーなのかもしれません。 (お話しへ続く)