23 │2024年6月9日

岡山バプテスト教会


週 句  一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
聖書   ヨシュア記1章5節

説 教 「キリストの香り」  高橋周也牧師
聖書朗読 コリントの信徒への手紙二2章12~17

「“捕らわれた者”のストーリー」
 パウロは、コリントの信徒への手紙二2章12節で、旅の計画が神様の領域にあるものと語ります。背景にはコリントの教会との厳しいぶつかり合いがあり、また、おそらく安心材料であったテトスをうまく捜し出すことはできませんでしたけれども、それでも自身を「勝利の行進」に導く神への感謝を表しています。「勝利の行進」とは、当時のもののたとえで、ローマ軍の勝利の凱旋になぞらえたものでした。そこでは、勝利した(ローマの)軍隊が、負かした敵国の捕虜を人目につくように連れ回して、街の通りを行進していたのです。本来なら、捕虜に自由はなく、行き先は「死」です。パウロは、自らの歩みをこれに例えます。
パウロはキリストに捕らえられています。だから、神が導くところに出かけるのだ、と。「捕らわれ」のパウロは、不安の心を抱いた(=魂に平安がない)まま出発しましたが、今は神に感謝をささげます。その歩みは、不本意なものであれ、恥を受けるような屈辱と見えたとしてさえ、キリストを知る香りに満たされたものであるとの気づきを与えられたからです。主の捕虜であることによって、世の力からは解放されて自由であり、また実際パウロは、見せしめと言えば言葉は悪いものの、確かに使徒言行録で読めるように、神のストーリーにおいて重要な役割を果たすことになります。また、行進というからには、一緒に歩く仲間がいるのです。この仲間の存在によって、至るところにキリストが香るのです。本人たちが香らせようとするというよりは、神が漂わせてくださるという不思議です。<お話しへ>