18 │2024年5月5日

岡山バプテスト教会


週 句 それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
聖書   マタイによる福音書16章 24~25節

説 教 「あなたがた私の教会よ」  高橋周也牧師
聖書   コリントの信徒への手紙一11:17~26

「台所のストーリー」
 先日、かつて私が初めて通った苫小牧教会の旧会堂の台所にいる夢を見ました。たぶん実際に貼られていたからではないかと思うのですが、炊飯ジャーの上に「台所の祈り」というのがあり、夢の中で懐かしく読みました。起きてから調べてみましたけれども、出典はよくわかりませんでした。実は、当時、小さな感動を覚えて読んだのを覚えています。このような祈りです。

主よ、わたしの小さな台所を祝福してください
お料理をするときも
お皿を洗っているときも
わたしの心をいつも喜びで満たし続けてください
あなたの祝福を
わたしの家族みなでいただくことができますように
そしてあなたが再びお出でになるときの心備えができますように
アーメン

 コリントの信徒への手紙が書かれた当時、どんな身分であれ、料理をするのは、女性たちの仕事とみなされていました(それが本来正しいことであるかどうかとは別)。パウロは、その立場では語っていませんが、教会のストーリーには、台所の視点も大切なのです。そして、この「台所の祈り」の由来はわかりませんけれども(おそらく、聖書の時代より限りなく現代に近いでしょうが)、この祈りと同じ内容のことを、コリントの台所にいた人々は大切に信じていただろうとも思いました。<お話しへ続く…>