週 句 そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
聖書 ルカによる福音書6章5節
説 教 「あの素晴らしい世界をもう一度」 高橋周也牧師
聖書 創世記1章26~2章4節前半
「下っ端奴隷か、神の愛の対象か」
創世記1章~2章3節まで (4節は後代に加えられた挿入句) は、今から2600年ほど前、バビロン捕囚後の時代を過ごしたイスラエルの民によって書かれたと言われています。私たちの時代は、この物語をどのように読むでしょうか。
イスラエルの民が連行されたバビロニアには、創造物語「エヌマ・エリシュ」がありました。その成立は創世記から遡ること約1000年、紀元前1500年頃と言われています。神々は聖書と同じようにして天地を創ります。さて、バビロンの神々の世界にはカーストがありました。いちばん偉い主神マルドゥクのもと、高位の神々が君臨し、その下っ端にキングと呼ばれる最下層の神々がいました。そしてさらにその下に、最下層にも入れられないティアマットがいます。神々キングは、高位の神々の下働きをさせられます。ある時キングはティアマットを唆し、高位の神々に反乱を起こさせるのですが、鎮圧されてしまいます。その際、高位の神々がキングの血液から人間を作ったというのです。(筑摩世界文学大系『古代オリエント集』1980年より)この神々のカースト制は、現実社会の身分改装制度を反映したものでありました。また「神の似姿」に造られるのは、バビロンでは王だけでした。バビロン捕囚の時代イスラエルの民は、その社会の最下層に置かれた外国人で、命の尊厳はなく、王や高位の人々の都合で扱われるにすぎない有り様でした。その苦難を経て、イスラエルの民は、バビロンの人間観に対抗します。誰も下っ端はおらず、全ての人間は神の下に等しく、神の像に造られた尊い神の愛の対象であるのだ、と。