週 句 神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。
聖書 創世記2章7節
説 教 「主、弟子の足を洗う」 西原寿
聖書 ヨハネによる福音書13章1~11節
挨拶「めぐまれさまでした」のススメ 高橋周也牧師
私がかつて通っていた教会のうちある教会には、教会で「おつかれさまでした」と言ってはならないという決まりがありました。歴代の牧師のなかに、礼拝後の教会員たちが口々に「おつかれさまでした」と言って帰っていくのを見て、激怒した先生がいるというのです。「おつかれさまでした」という挨拶は一般的な声がけとしてよく使われているものですし、一生懸命に奉仕をしてくださる方には、そう言いたくなります。だから激怒するのはいかがなものか。とはいえ確かに、日頃の苦労をねぎらい合うなら適切でしょうが、安息日に礼拝に来て本当に疲れてしまうのなら考えものです。有名な大企業の中には、「疲れ」はネガティブワードなので避けて、「お元気さまです」と言い換えている会社もあるようです。教会の場合はそれもそれで違和感があるような気もします。そこである教会では、「めぐまれさまでした」という挨拶に変えてみたそうです。礼拝に来て、あるいはみんなで奉仕をして、「ああ恵まれた!」「祝福された!」という感謝と清々しい気持ちで教会から送り出されていきたい、との信仰の現れです。なかなかに素敵なチャレンジだと思います。
「おつかれさまでした」禁止の教会にいたのは1年くらいでしたが、私なりにもいろいろ考えました。やめてみると、「今日もあなたにあえてうれしい」「一緒に働けて感謝」、そんな言葉が出てきました。そして最初は戸惑ったそこでの教会生活は、身体は疲れても心は嬉しさを感じる素敵な経験になりました。
イエス様の弟子たちは足を洗うように召されました。仕え合う言葉は「おつかれさまでした」のほかにも、たくさんあります。そんな言葉を教会生活のなかで、たくさん見つけてみましょう。