26│2023年06月25日

岡山バプテスト教会


週 句 このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。
聖書 使徒言行録19章20節

説 教 「記憶を新たに」  高橋周也牧師
聖書   ローマの信徒への手紙15章14~21(参照15:22~33)

「祈りという土台の上に」
  「王様の耳はロバの耳」で有名なミダス王には、もう一つ、有名な物語があります。ある時ミダス王はギリシア神話の神から「自分の願いをなんでもかなえてあげよう」と持ちかけられます。王は大喜びして、自分の触れたものは何でも金になる能力を手に入れたいと願いました。王はあらゆるモノを金に換え、それらをカネに替え、大宴会を催します。ところが、おいしいワインはグラスごと、ごちそうも口の中で金に換わってしまい、食べられないのです。そこに愛娘がやって来て、懐に飛び込んできたので、つい王は娘を抱き留め、その瞬間、愛する娘は、モノ言わぬ金の像になってしまったのです。すなわち、金そのものを目的とする時、人は大切なものを奪われてしまうのです。
 さて、みなさんが今、一番欲しいものは何でしょうか?今までに、それを手に入れようとしたことがあるでしょうか?諦めて後悔したことはあるでしょうか?こういう問いを繰り返していくと、私たちの本心が明確にされていくものです。祈りは、それを敢えて言葉にして申し述べることでもあります。また、祈る者は、共に、神にしがみつき続けます。
 気をつけたいことは、人が歴史を作るのではないという事です。神の歴史のもとに、私たちは生かされ、用いていただいているのです。このことを個々人の人生においても、教会の歩みにおいても、また、とりわけ今週と来週にかかる神学校週間にあたり覚えたいと思います。「献身」は、全てのキリスト者/教会の生き方です。その姿はいつもどんなにボロボロであっても、主イエス・キリストを証するものでありたいのです。