20│2023年05月14日

岡山バプテスト教会


週 句 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐(しいた)げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。
聖書   レビ記19章33~34a節

説 教 「キリストと共に生きる」 高橋周也牧師
聖書   ローマの信徒への手紙6章1~14

「何によって仲間なのか」
 あなたがたは皆、〔※イエス・キリストの〕真実によって、キリスト・イエスにあって神の子なのです。キリストにあずかる洗礼(バプテスマ)を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです。ユダヤ人もギリシア人もありません。奴隷も自由人もありません。男と女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。(ガラテヤの信徒への手紙3章26~28節・聖書協会共同訳/〔〕内米印は22節を根拠に筆者補足)
 キリストを信じる者たちは、やがて共同体(教会)を形づくるようになりました。彼らは何によって仲間になったのでしょう。
最初期のキリスト者の共同体は、バプテスマの際に、上の聖書の言葉を大切に宣言したと言われています。ここに書かれている内容からは、ユダヤ人やローマ帝国の常識であった、生まれや肉体(体)による線引きを退けていることがわかります。肉体による線引きとは、例えば、民族や身分や性別による違いが考えられるでしょう。そのようなものを根拠として一つになるのではなく、「キリストに愛されている」ことに気づいた一人ひとりが自ら決断して「私もキリストにあって生きたい」「ただキリストにだけ属する一人の私として生きよう」という者たちが互いに信じあうことをもって、仲間となったのです。やがて教会は大きな力を持つと、「初心」を忘れてたくさんの失敗も冒してしまいました。今の時代の中で、教会はこの初心に生きることを改めて深く問われているのだなあと思わされています。

注)
①「イエス・キリストの真実」とは、「信実」とも表記できる言葉で、イエス様の信仰や誠実さを意味します。
②私たちが手にしてきた新共同訳は「男と女も」を「男も女も」と翻訳しているのですが、これは以前から誤訳と指摘されてきました。新しい協会共同訳では修正されているため、後者を引用しました。小さな違いのようですが「男も女も関係ない」という意味を超えて、旧約・創世記の「男と女」という一対としての男女関係のあり方や生き方の規範を新約聖書は凌駕(りょうが)していることになります。そういう意味で重要な違いなのです。