週 句 主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。
聖書 出エジプト記13章21~22節
説 教 「苦難=誇り?」 高橋周也牧師
聖書 ローマの信徒への手紙5章1~11節
「ホンモノのキリスト者」
最近、詐欺にあいそうになりました。教会に「電気保安協会」を名乗る電話があり、電話口で「そちらの会堂には業務用エアコンが2台設置されていると思うのですが」などと言われて、つい本当なのかもしれないと信じかけてしまったのです。多少の違和感から確認したところ、最近流行りの手口とわかり、警察にも通報して、事なきを得ましたが、詐欺師からは具体的な日時指定で訪問の約束も取り付けられてしまい緊張しました。その時に警察から、本物を見分ける術をいくつか教えていただいたのですが、例えば身分証の確認をさせてもらうにしても、それらしいものは今どき誰でも作成できるわけで、なかなか難しいと思いました。そもそも私自身が教会の牧師であること自体も、皆さんがそう呼んでくださるから牧師なのであって、何か牧師の免許証のようなものがあるわけでもありませんから、いつも私が牧師であることは、相手に信じてもらうしかないわけです。
私たちはどのように自分がイエス・キリストにある者であることを証明するでしょうか(できるのでしょうか?)。公的な身分証明書を用いて自分が誰であるかを証明することはあるでしょうが、キリスト者であることはどのように証明するでしょう?今朝の箇所からそのことを考えさせられます。2018年に出版された聖書協会共同訳ではこのように書かれています。苦難が忍耐を生み、忍耐が品格を、品格が希望を生むことを知っているからです。(5章3b~4節)
ここで品格(新共同訳では、練達)と訳された言葉は、吟味された結果明らかになる本物としての性質という意味のようです。苦難に忍耐する(=十字架に留まり続ける)ことによって、弱い自分と共なるキリストにであう、それを希望として生きることが、自分はキリストのものであるという証でした。