週 句 わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。 御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。
聖書 申命記30章11節、14節
説 教 「救ってくださる方」 高橋周也牧師
聖書 ローマの信徒への手紙7章7~25節
「未来に向かうため過去を学ぶ」
「自分史」という言葉をご存知でしょうか。自分のこれまでを書き記すとか、自分自身を物語るという意味であろうと思います。老年期のワークとして提示されることも多いようですが、自分自身を物語ることには、自己認識を深めたり、新たな人生のヴィジョンを見つけたりすることにもつながる効果もあり、とても有意義な活動です。私は神学生時代に、恩師の授業の取り組みでこれに取り組みました。自分にまつわる年表をまとめるだけなら簡単ですが、その課題では書き方が指定されていました。なんと「吾輩は猫である」という一文から始めよというのです。そしてその猫の視点で、自分の原家族(生まれた家の家族のこと)について記した上で、猫が見る自分というつもりで自分を物語るのです。実は「自分史を書け」というタイトルは付いていなかったのですが、自分なりにこういう自分史の書き方は面白いと感じたのでした。慣れていないことで苦労しましたけれども、大変ワクワクする取り組みでした。そして改めて猫が私を見てみると、私が取り組むべきことも見えてくるような気がしたのです。
私たちは自分の人生を、あるいはこの岡山バプテスト教会を、あるいはご自分の所属しておられる会社などの団体・組織を、どのように物語るでしょうか。そういえば私のこの岡山に来た時のお見合い説教のタイトルは「後ろを振り返るという前進」でした。その時のメッセージを繰り返しますが、本当に後ろを振り返った人が本当の意味で前に進むのです。聖書の民は、災いにあって、信仰の目で見聞きした自分たちの歩みを聖書としてまとめ、私たちに継承してくれました。今、疫病後の時代を生きようとする時、私たちは何を証しとして語り継いでいくでしょうか。