15│2023年04月09日

岡山バプテスト教会


説 教 「モーセから今を」 高橋周也牧師
聖書   ルカによる福音書24章22~27節

「教会―イースターを物語る営み」
 こんな時に仲間がおかしなことを言い出した。墓は空だったのです。それを見て、仲間の婦人たちは「復活が起こったのだ」と告げる。2人の男女の弟子は、他のすべての弟子たちと同じく、到底そんな「戯言」を信じることが出来ませんでした。そこで2人は、エマオに向けて歩き出します。この現状のどこに救いがあるのか。恐怖のなか、絶望に絶望を重ねて歩き続けました。実はイエス様は、2人と一緒に歩いていたのですが、彼らには主の姿を見出すことはできませんでした。喪失と、仲間への不信感―世界で最初のイースターの朝は、恐怖と絶望の朝でした。
 そんな「エルサレムからエマオ」という「今」に悩み、心閉ざされている2人に、イエス様は聖書全体を語り、「モーセから今を」見るように促します。その語りをきき、神の物語に生きる者となった時、人生をそこに引き入れられたとき、この2人の心は燃えていました。「イエス様だ!」と気がついた瞬間、その姿は見えなくなりました。
 流行り病、虐待、暴力、戦争・・・この時代、そして個々人の人生に、喪失は満ちています。ときにキリスト者は、信じた主の姿が見えないことに苦しみます。それはまさにイエス様が共にいる者の悩みなのです。主は今、あなたと向き合って座るのではなく、あなたと横並びになって立ち、同じものを見聞きしながら共に苦しんでおられるのです。しかも同時に主は「先」に行っておられます。すべての救いが成就したその「先」へ。その物語に気がついた時、自分たちに復活を告げた婦人たちのように、彼らもまた再び、彼らが生きるべき・向き合うべき物語「エルサレム」へと、踵を返していったのです。