週句 はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。
聖書 ルカによる福音書 23章 43節
説 教 「今日、わたしと一緒に」 高橋周也牧師
聖書 ルカによる福音書23章26~43節
「終わり、始まる。」
キリスト教は十字架とそれに続く復活から決定的に始まったと言えますが、今日の箇所はイエス様の死、いわば臨終の場面です。意外に思われるかもしれませんが、私たちの聖書には、十字架と復活のうち、イエス様の復活のようすについては、どこにも書かれていません。復活したイエス様に出会ったという人が何人も出てきます。実際にそういう経験をし、主のご復活にであわなければあり得なかったと自他共に認めざるを得ない人たちによって福音は宣べ伝えられてきました。その人たちがやがて聖霊を受けて教会を形づくり、2000年間証をし続けてきたなかで、イエス様の「死」は、キリスト教の中心的な事柄として語り継がれてきたのでした。
人の死の瞬間に立ち会うということは大事だと考える文化は多いのではないでしょうか。多くの人にとって人生の最期とは、家族、愛する人、大切な人に囲まれて迎えたい。それは見送る側も一致した願いだと思います。死に様が生き様を表すという言い方もあるくらい、死の瞬間は、人生の到達点/集大成とも言われることがあります(もちろん例外はいくらでもあると思いますが)。コロナ下で看取りに制限がかかったことが大変痛ましく感じられるのは、そこを奪われたという感覚を強く覚えるからです。
その今日の時代背景を経てここを読むと、私たちは聖書を通して、主の死に立ち会わせていただいていることに気づきます。イエス様の到達点における愛する弟子たちの不在ということが、ひときわ際立って悲しく感じられますが、これをやがて語り継いできたのもまたキリストの弟子たちだったのです。