週 句 わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
聖書 ルカ 1章47節
説 教 「決して死なない」 高橋周也牧師
聖書 ルカによる福音書2章22-35節
「「戦」の年に命を告げるアドヴェント」
―あなた自身も剣(ロムファイア)で心(プシュケー)を刺し貫かれます(ディエルコマイ)―多くの人の心(カルデイア)にある思いがあらわにされるためです。
ここに出てくる「剣」という言葉は、聖書の多くの箇所に登場したり、私たちが通常イメージしたりするような「剣」とは少し意味が違っています。痛みを通して神に立ち返らせる言葉という剣だということです。ですからある先生はここを「口の剣」と訳しました。その剣がプシュケー(命や霊など人間の内面を表す単語)を刺し貫くというのですが、この「刺し貫く」もまた「行き巡る」という別訳が可能です。主イエス様が神の言として人の深いところにまで行き巡ってくださる。そこでは小さく弱く隠された多くの人の心にある思いがあらわにされるというのです。声が声として扱われるところに、本当の慰めがあり、人が人として生きていく道が開かれます。そうではない人間の現実に、神様はまさに「剣」のように切り込んで来られたのです。人間の剣は、強い者が手にして他者を切りつけて命を奪いますが、神の剣はむしろ命を生み出し、生かすのです。
生涯をかけて待ち望み続けた人・シメオンは、その神様のビジョンを見て、賛美をささげました。そしてその喜びの故に、自分の命にしがみつくことからさえ自由になりました。私たちのクリスマスあるいはアドヴェントは、この時のシメオンの賛美と一つになっていくことです。