2022年12月11日

岡山バプテスト教会


週 句 おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。
聖書   ルカ 1章28節

説 教 「悩み、嘆きのひっくり返り」 高橋周也牧師
聖書   サムエル記上1章5b~16節、
     マルコによる福音書10章28~31節
「問われる時・アドヴェント」
 救い主イエス・キリストがこの地上にお生まれになったクリスマスの出来事を待ち望むアドヴェントも早3週目。私たちにとってクリスマス物語の肝はどこにあるでしょうか。実は、誰が・いつ・どこで・どのように・誰と、その物語を聞くかによってまったく異なるはずです。「待ち望む」ことは、待っている私たち自身の姿(生き方、聖書の読み方etc…)が問われることでもあるのでしょう。
 例えば、聖書の中で「待ち望む」時を生きた人たちには、声を奪われた人たちがたくさんいました。それはイエス様の両親も例外ではありません。ローマ皇帝がユダヤの住民に住民登録を命じたのは、税金を確実に徴収するためだったと言われています。臨月の妊婦には負担多くハイリスクな長旅を余儀なくされたマリア。そして、連れ合いが産気づいても十分な宿屋を確保できない夫ヨセフのやるせなさ(そして、家畜小屋でお産に臨むマリア)を想像すると心が痛みます。声をあげられない虐げられた民の現実がありました。あるいはまた、結婚して家庭を築き子どもを産み育てるという家父長制システムに沿えない・沿わない選択をする人たちにも十分な社会的・宗教的信用や人権がありませんでした。「聖霊によって」みごもったマリアや生まれたイエス様も、実は聖書を読んでいると、そういう課題と無縁でなかったことは福音書の物語から垣間見えることです。残念ながら、大きく今の世界と通じています。クリスマスは「お生まれになってめでたしめでたし」の物語ではありません。神を信じて生きた人々の物語です。そしてそこから、「私たちはこれでいいのかな?」ということをしっかりと問われるのです。

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