招きの詞  小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」 すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。
聖書  ヨハネ黙示録6:9-11
説教 「この世の不条理と、神の前の幸い」 杉本 拓哉牧師
聖書  コヘレトの言葉 8章7~17節
「義に過ぎず、悪に過ぎず」
 生きていると、理不尽な目に遭うこともあるでしょう。 正直者が損をして、不正をする人が得をしているように見える場面もあります。また、置かれた環境や、過去の傷、人間関係のこじれによって、生き方が歪められてしまうことがあるかもしれません。現実に打ちのめされ、将来への希望を見失う時、私たちは過去にすがって「昔は良かった」と思いがちです。しかし、そのような考えは主の知恵ではありません。過去と他人を変えることはできず、今と自分だけが変えられるものだからです。過去の自分が精一杯生きてきた証である「今」を否定せずに、未来に繋がる一歩を踏み出しましょう。
 幸いな日には主にある喜びを味わい、不幸な日には主への畏れを覚えましょう。私たちは将来が分かり得ないからこそ、謙虚さが育まれます。もしも自分の正しさに固執するならば、周囲の人々は離れて、やがて誰にも言葉が届かなくなります。または悪へと突き進めば、行きつく先には死が待っています。主への畏れこそが、第三の道へと私たちを招きます。自分の正しさではなく、キリストが示された赦しの義を受けましょう。そして正しさからの言葉ではなく、互いに赦された者として、恵みを分かち合いましょう。新しい命の喜びは、そこから始まるのですから。