43 │2024年11月3日

岡山バプテスト教会


週 句 なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
聖書   コリントの信徒への手紙二5章14~15節

説 教 「あるべき姿へ」 高橋周也牧師
聖書   エレミヤ30章1~3、18~22節

「受け継ぎ・語り継ぎの大切さ」
 今日は先に天に召された方々を偲ぶ召天者記念礼拝です。私たちの霊的な先人たちは、その生死を通して、主を証しし、信仰の遺産を遺してくれました。
 また、教会では、私たちと繋がりのある方で、生前イエス様への信仰を持っていなかった方のことも共に覚えています。その人たちもまた、そのご存在が今日の私たちを形作っているのです。素直にそう思えない場合もあるかもしれませんが、一つひとつの出会いを大切にし、そして、その出会いと導きを神様に感謝したいのです。
 全ての召天者が、私たちと同じく、神にその存在すべてを受けとめられ安らかに過ごしています。また、地上を懸命に生きる私たちのために、主と共にはたらいてくださってもいます。召天者記念礼拝は、死者のためではなく、生きている私たちの慰めと励ましのためにささげられます。今年もこの時を大切に過ごすことができますように。
 私たちのこの信仰は、単なるキレイゴトではなく、神あるいは主イエスの神の国(天国)のビジョンに基づいています。その信仰がよく受け継がれて、いつもそれをベースとしていることが大切です。ですから、私は今日の箇所(エレミヤ30章3,18節)の新共同訳を批判したいと思います。「捕らわれ人を帰らせる」ことがなぜ「繁栄の回復」なのでしょうか。単に「土地」を意味するのでしかない言葉がなぜ「国土」なのでしょうか。翻訳者の意図がどうであれ、こういう翻訳(あるいは解釈)が聖書を悪用した戦争を起こし、正当化してもいるのです。主がエレミヤに「書き記しなさい」(1節)と命じたこの箇所が、まさに語り継ぎに対する課題を抱えている。これは誠に残念なことです。