週 句 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、
また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
聖書 ヨハネによる福音書15章 16節
説 教 「煮えたぎる鍋の傾き」 高橋周也牧師
聖書 エレミヤ書1章1~13節
「あの時と今、何を見ているか」
全国の教会の中には、毎年創立記念礼拝をする教会もあるようです。もしこの教会でもするとすれば、今日だろうと思います。宣教開始は1951年10月からでした。丸73年、AIによると、今日は3809回目の日曜日の礼拝だそうです。私と皆さんは、たぶん今日でわずか180回目くらいですが、岡山バプテスト教会の宣教開始70周年も、教会組織60周年も、共に過ごさせていただきました。神の選びの不思議を思います。
ところで、そんななかこの2年ほど『聖書教育』誌の箇所に合わせて聖書のお話をしてきましたが、実はそうする前に、既にエレミヤ書を説教しましたので、この秋の説教箇所をどうすべきか迷いました。しかし、まだあまりよく考えないうちに、今日と同じエレミヤ書1章を読んだのは、2022年5月8日、この教会で53年ぶりの牧師就任感謝礼拝の朝だったことを思い出しました。そして、それ故にはっきりと覚えていることは、その日初めてこの会堂で礼拝を共にした方が、今は教会員になっているということです。教会はナマモノです。この数年、転入会のある度等にお話をさせていただきましたが、メンバーがひとり増減すれば、それはもう昨日までの岡山バプテスト教会とは別の教会なのです。それから、エレミヤは、1章1~3節で示されているように、具体的な歴史を生きた人です。西暦に直すと40年間。比較的安定していたヨシヤ王の時代から、その後の崩壊の時代にかけてです。今のような時代かもわかりません。そういうわけで、今は今の私たちのステージに合わせて、今年もエレミヤ書の御言葉に建てあげられていきたいと願っています。