12 │2024年3月24日

岡山バプテスト教会


週 句 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
聖書   ローマの信徒への手紙6章 11節

説 教 「十字架のそばには」  高橋周也牧師
聖書   ヨハネによる福音書19章17~30節

「終わりからはじまるストーリー」
 イエス様は十字架の上で「成し遂げられた」とおっしゃり、息をお引き取りになりました。そもそもここは命を奪う騒々しくて荒々しい場面のはずでした。しかしそれなのに、私にはここでイエス様の声は、まるで静かな場所にいるかのようにくっきりと響いてくる気がします。場面設定そのものに静けさを感じます。不思議なことです。この十字架のそばには、4人の女性たちと愛する弟子と呼ばれる人が立っていました。イエス様は母と愛する弟子に「御覧なさい、あなたの子です」「あなたの母です」と、十字架のもとにいる人たちを互いに家族のように繋がるように促し、託していかれました。ですから、ここに響いているのは、教会を建てようとしているイエス様の声ではないでしょうか。イエス様の働きを受け継ぐものとしての教会です。すべてが「成し遂げられた」ことを宣言なさる、その最後の最も重要なタイミングにイエス様がなさったことは、これであったのです。
 ところで、「成し遂げられた」と訳されているのは、テロスという言葉の受身形です。テロスとは全てが「終わった」という意味のほかに、目的とか到達点を意味する単語です。終わったところに、何かが始まる言葉でもあるのです。まさに、十字架は死の先に復活の朝を迎える希望です。騒々しい世界は暴虐に満ちています。「殺せ」という声に抗い、共に生きようとする祈りを一つずつ積み上げていきましょう。イエス様と、そして、私たちのお互いが、大切なことを語り合える距離感に置かれたこの十字架のふもとで、私たちも共に教会を建てながら、互いに支え合い、信仰を深めていきましょう。