招きの詞 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
聖書 ヨハネ14:27-28
メッセージ 「主は平和を宣言される」 杉本 拓哉 協働牧師
聖書 詩編85:2-14
「切り株から希望の芽」
枯れた草花や、切株を見れば、終わりを感じて諦めてしまいがちです。人生においても、努力が実らなかったこと、大切な人とすれ違ってしまったこと、勉強しても身につかなかった科目、諦めて断ち切った過去が思い当たるのではないでしょうか。それでも自然界において、枯れ果てたように見える切り株からも、小さな芽が生えることがあります。私たちの人生においても、終わったと思えるような所から、予期せぬ始まりが待っていることもあるのでしょう。
イスラエルの国は当時、他国の支配下にあり、強力な軍事力によって滅ぼされる日が近づいていました。祈っても状況は変わらず、行き詰まりの中に彼らは立たされていたのです。頼りにしていたものは断たれ、希望が途切れたかのように見えましたが、神はそこからでも新しい命の芽を起こされるのです。救い主は弱い立場に置かれた人に寄り添い、か細い声に耳を傾け、不当な目に遭って隠されていた痛みにも目を留めます。そしてこの地に正義と公平をもたらします。この希望の知らせは人間関係だけに留まらず、自然界の和解にまで及びます。私たちが気付かなくても、神は確かに働いておられるのです。私たちが絶望している所からも、神の希望が芽吹き、花咲いて実を結びますように。