招 詞 知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
聖 書 コリントの信徒への手紙一1章20~21節
宣 教 「知恵は呼びかける」 鮫島泰子牧師
聖 書 箴言8章1~3、22~36節
人生に効く「箴言」を読んでいます。1章で「主を畏れることこそ知恵の初め」と学びました。今朝はさらに「知恵について」学びを深めます。著書は知恵を擬人化し一人の女性が読者に向かって自らを紹介する形で、知恵とはどのようなもの(4-21節)であり、どのようにして誕生し(今朝のテーマ①)、人が知恵を得ることでどんな人生を送ることができるのか(テーマ②)、について語ります。読んで驚くのは、知恵がこう語っていることです。永遠の昔、わたしは祝別されていた。大初、大地に先立って。わたしは生み出されていた(23-24a)と。すなわち知恵は先ず、私たち現代人を天地創造以前の昔にまで誘うのです。そして古に誕生していた知恵が長い時間を生き続け、今なお瑞々しい言葉をもって現代の私たちに向かって、わたしに聞き従え(32節)と言うのです。刹那を生きるのに必死の私たちに、立ち止まって古の知恵に学ぶように、助言し忠告し勧めるのです。時代の速さに引きずられて目が眩むような日々を送る私たち。そんな自分にふと気づいて不安にならないでしょうか。最も大事なことがかすんでしまっていないか。知らず知らず最も大事なことを失くしてしまっていないか…。この際一人ひとり端座して「知恵」と向き合いたいと思います。神さまをまっすぐに見上げイエスさまを心から愛する「私」を取り戻したい、そう思います。