招 詞 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
聖 書 コリントの信徒への手紙一1章23-25節
説 教 「愚か者のように」伊藤聰牧師
聖 書 箴言 1章 1-7節
絶対不変の知識など存在しません。時代や場所とともに常識は移り変わり、科学的知見も日々アップデートされていきます。また、同じ知識を得ていても、人によってとらえ方は異なります。「正しい判断」は一つとは限りません。人は何らかの信念に基づいて知識を応用し、課題に取り組むからです。その規範や枠組みとなるのが知恵です。正確な知識を得るだけでなく、何を信じて課題に取り組むかが大切なのです。
旧約聖書の「ヨブ記」、「箴言」、「コヘレトの言葉」などは、「知恵文学」として分類されます。「知恵文学」そのものは、格言や処世術として聖書よりも古い歴史を持ちますが、聖書では「主を畏れることは知恵の初め」と説き、神への信仰を知恵の基礎としているのです。
知恵の基礎について、新約聖書では、パウロによってさらに掘り下げた説明がなされています。信仰を知恵の基礎としたとき、その基礎は神の知恵そのものとなり、もはや人の知識が及ぶものではありません。罪人として十字架につけられたイエスを救い主と信じることは、人の知識によれば愚かなことです。しかし、前述の通り、人の知識や信念を絶対化しないことは理に適っています。むしろ、弱さの極みに立つ十字架のイエスを信じることによって、私たちの理解を超えた突破口を見出すことができるのです。