05 │2026年2月15日

岡山バプテスト教会


招きの詞 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
聖書  エフェソの信徒への手紙2章19-22節

説  教 「十字架価格の体と教会」吉田睿濫(イエラム)牧師 
聖  書 コリントの信徒への手紙一6章19-20節

コリントの信徒への⼿紙⼀6章19-20節でパウロは、「あなたがたは⾃分⾃⾝のものではない」と語ります。私たちの体は、キリストの⼗字架という尊い代価によって買い取られ、聖霊が宿る神の宮とされました。これは単なる道徳的勧めではなく、「私は主のものとして⽣きる」という存在そのものの転換を意味します。神が御⼦のいのちをもって買い取られた私たちは、もはや傍観者ではなく、主に属する者として召されています。この真理は教会にも深く関わります。教会は特定の誰かが⽀える場所ではなく、キリストの体として結ばれた⼀⼈⼀⼈が担い合う共同体です。「教会の衰退」という問題意識が浮き彫りになっているこの現実の中でこそ、「誰かがする」のではなく、「私が主に属する者として⽴つ」という⾃覚が問われているのだと思うのです。神が⾼価な代価を払って建て上げられた教会を、⾃分の⾝のように愛し、祈り、仕え、宣教の働きに参与することこそ、体をもって神の栄光を現す歩みです。主のものとされた恵みに応え、主の体である教会を共に建て上げて⾏けることを⼼から願います。 吉田睿濫牧師