招きの詞 28 地の果てまで すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り 国々の民が御前にひれ伏しますように。29 王権は主にあり、主は国々を治められます。30 命に溢れてこの地に住む者はことごとく 主にひれ伏し 塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得 31-32 子孫は神に仕え 主のことを来るべき代に語り伝え 成し遂げてくださった恵みの御業を 民の末に告げ知らせるでしょう。
聖 書 詩編22:28-32
説 教 「主の栄光が見出される時」杉本 拓哉 協働牧師
聖 書 ローマの信徒への手紙15章1-13節
「もう裁き合わないように」
ローマの信徒への手紙14章1~23節
相手と意見がぶつかったり、好みや価値観が異なったりすると、私たちは理解し合うことを諦めてしまいそうになります。そして、直接向かい合う代わりに、悪口を言ったり、軽蔑したり、裁いたりしてしまう、そのような弱さを私たちは抱えています。自分の考えとは違うという理由で誰かを排除し、傷つけていく先に、誰もが安心して過ごせる場所は生まれません。だからこそ大切なのは、互いの存在を 認め合い、強さも弱さも受け入れていく姿勢です。その時、違いは豊かさへと変えられていくことでしょう。
聖書は、私たちが裁く側に立つのではなく、復活のイエスこそが裁きの座に着かれるお方だと語ります。そして主は、既に一つの決定をなされました。それは、私たちがどんなに不完全であっても、愛し、受け入れるという決断です。 救い主は、信仰の弱さを抱えた私たちに寄り添い、隔たりを越えて、救いの道を開いてくださいました。だからこそ、私たちもまた、つまずきの種を取り除き、共に愛に生きる歩みへと招かれているのです。神の国は、違いを取り除いた場所ではなく、違いを越えて共に生きる中にあります。そこにこそ、神の義と平和と喜びとが満ち溢れていくのです。