招きの詞 見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り、衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り、ヘルモンにおく露のように、シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された祝福と、とこしえの命を。
聖 書 詩編133:1-3
説教 「生きた献げもの ―キリストの体に結ばれて―」杉本 拓哉 協働牧師
聖 書 ローマの信徒への手紙12章1-8節
「神の農園に生かされて」ローマの信徒への手紙11章17-36
一つの出会いが、自分の人生を大きく変えることがあります。友人や恩師、本や音楽や映画等との出会いを通して、考え方や 生き方が広がり深まることもあるでしょう。新たな繋がりは、 心を潤し、命を育みます。しかし大切であればあるほどに、時にわずかな違いに痛みを覚え、距離を置くこともあるかもしれません。それでも喜びだけでなく悲しみさえも、心身を育む糧となるのです。
聖書は、神と人との関係を「接ぎ木」にたとえます。接ぎ木とは、異なる木を傷つけて結び合わせ、そこから命を通わせる農夫の知恵です。イエス・キリストは、私たちを神の命に繋ぐために、十字架の傷を受けられました。イエスの傷を通して命は注がれ、私たちは御霊の実を結ぶ者へと変えられるのです。
人生の中で味わう痛みや悲しみも、失敗や罪さえも、イエスの傷に接ぎ合わされる中で、新しい意味を見出していくようになるでしょう。痛みを知った上での優しさがあり、傷がなければ気付けなかった隣人との出会いがあるのです。そして、新たな出会いを通して、今度はあなたを通して、主の命は分かち合われていきます。イエスは今日も、あなたの傷に寄り添い、共に生きようと、手を差し伸べています。誰もが、この命の繋がりに招かれているのです。