32 │2026年8月23日

岡山バプテスト教会


招 詞 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
聖 書 マタイによる福音書 7章3~5節

説  教 「裸の王様」   伊藤聰牧師
聖  書  サムエル記下6章1~23節

「裸の王様」
 サムエルがサウル王に代わる新しい王を探し求めていたとき、神はサムエルに「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と告げました。たしかに、サムエル記は、すべての登場人物について英雄化することなく、その人物の良い面にも悪い面にも言及します。それは「主は心によって見る」からなのです。神の前に完全に正しい人間など一人もいません。どんなに人々が賞賛していても、神のみ心に適うとは限らないということです。サムエルも、サウルも、ダビデも、神の栄光を目に見える形で実現し、人々の賞賛を受けました。しかし、神はあくまでも是々非々で彼らを退けるのです。
 ダビデ王は、自分が築いた町、エルサレムに神の箱を運び込もうとしました。その目的は、十二部族の統一と王国の安定にありました。半ば偶像のように神の箱を利用したのです。一度目は失敗し、二度目には成功しました。一度目と二度目の違いは一体何だったのでしょうか。キーワードとなるのは、「主は心によって見る」です。また、ダビデ王は、サウル王の娘であるミカルを王朝の正統性のために利用してきました。しかし、ミカルにもまた、サウル王の娘としてずる賢く生き延びてきた過去があったのです。二人の関係が幸せなものでなかったのは、どちらか一方に原因があったからではありません。こちらも、「主は心によって見る」をキーワードに考えてみたいと思います。 伊藤聰