20 │2024年5月19日

岡山バプテスト教会


週 句 主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」と言った。
聖書   列王記上19章7節

説 教 「信仰、希望、愛」  高橋周也牧師
聖書   コリントの信徒への手紙一12:31〜13:13

「愛のストーリー」
 今日はペンテコステ礼拝です。教会の暦において、一年で最も大事で欠くことのできない祝祭日です。しかし、おそらくどなたも今夜、クリスマスの時のように、ペンテコステ・パーティーの予定がないのは、聖霊降臨の教会の姿(使徒言行録2~4章)があまりにも私たちの知っている多くのキリスト教会の現実とはかけ離れているように思えるからではないでしょうか(全てのキリスト教会がその歴史の延長線上にあるにもかかわらず!)。
 ところで、パウロがコリントの信徒への手紙を書いたのは、直接的には、当時、難しく問題山積する小さな共同体であったコリント教会の励ましのためです。パウロがコリントにいたのは使徒言行録18章の時のことであり、コリントへ手紙を書いたエフェソにいたのは19章あたりのことです。2章からそこに至るまで、そんなに長い時間はかかっていません。それどころか既に4章で、教会は社会と衝突しており、既に5章では、教会内部において土地の代金のごまかし事件さえ起こっています。
 かつて、有名な神学者カール・バルトは、生涯全てのキャリアを費やして神(God)という言葉を明るい言葉(a cheerful word)に変えようとしてきた、と言ったといわれます。ある程度はクリア。裁きや懲罰的な神が強調されたかつての時代に比べると、「愛」が強調されるようになったと言われます。しかし、こんどはその「愛」を何と心得るでしょうか。私たちに与えられた賜物は、「一部分」(「幼子」)なものではなく、「完全なもの」(「成人」)です。聖書が一つひとつに正直なのは、キリスト教会の歩みは「愛」への “大人”の応答であるからです。(お話しへ…)