15 │2024年4月14日

岡山バプテスト教会


週 句 わたしたちの神の助けによって この工事がなされたのだということを悟ったからである。
聖書   ネヘミヤ6:16b

説 教 「推し一筋」  高橋周也牧師
聖書   コリントの信徒への手紙一3章1~9節

「分派:愛とすれ違いのストーリー」
 先週から、コリントの信徒への手紙を読むことになりました。使徒言行録18章によれば、パウロは一年半にわたってコリントに滞在し、(建物をという意味ではありませんが)人々と協力して教会を建てました。そこで、「御言葉に専念」して活動したとされています。つまり、コリント教会にとって、パウロは、今でいえば、前任の牧師さんなのです。キリスト教そのものが生まれたての時期に、非常に多様な人々が集った教会で数々の問題が起こったのは、ある種当然の帰結をみたにすぎないのかもしれません。パウロは教会からの相談に対して返事を書きます。それが私たちの手にしているこの手紙です。これは当時の礼拝で、そのままメッセージとして読み上げられたものです。今日の説教では、その「声」を会衆席できいてみましょう。礼拝で声として手紙をきくと、聖書の本に印刷された「文字を読む」のとは違う意味合いが出てくることに気づきます。
 ところで、この手紙が何をもたらしたかについて、先のことを少しだけここで紹介しておきましょう。実はパウロは、この手紙のせいで、一度コリント教会から嫌われてしまいます。教会である程度多数を占めていたパウロイズムを継承したい人たちは、そのパウロ自身から「パウロにつく」とか言っていたらただの人だよと言われたので、顔を潰されたと思ったわけです。しかし、後に和解をして、パウロはコリントの信徒への手紙二のほうで、あなたがたは一時的には悲しんだかもしれないけど、大切なことに気づけて良かったよねという旨を書いています。この手紙には、愛情と本当に教会の成長を思って助言をしたパウロの期待が大きく込められているのです。