週 句 しかし、人の中には霊があり 悟りを与えるのは全能者の息吹なのだ。
聖書 ヨブ記32章8節
説 教 「完全勝訴」 高橋周也牧師
聖書 ヨハネによる福音書16章25~33
「参加すべきストーリー」
今朝の箇所ヨハネによる福音書16章後半で、イエス様はご自分の名によって祈る/願うよう、弟子たちに勧めます。(24節、26節) イエスというお名前は「神は救い」という意味です。また、その名はインマヌエル(神は我々と共におられる)と呼ばれる(マタイによる福音書1章23節)。その名によって祈ることには、どのような意味があるでしょうか。もうひとつ大切に自覚しておきたいことがあります。キリスト者である私たちは、教会で「主の祈り」を祈る時、その名のために祈ってさえいるということです(「御名があがめられますように」)。しかも、神に呼びかけた直後に真っ先に。
神のために祈るとは、人間の自然な信仰心から来ることでしょうか(神に感謝するのとは別の話です)。実は、キリスト者というのは、実に不思議なことをしているのです。バプテスマクラスの時だったか、まず神のために祈るのは、人間が人間らしく生きるためであり、この祈りを主が私たちに教えてくださったのは、神が私たちに人間らしく生きることを望んでくださっているからだと学んだことを思い出します。イエス様の名によって祈る時、主は、私たちと共にいてお救いくださることに、なんとはっきりとした責任と決断を持っていてくださることかと思います。私たちはこの主のご愛のうちを生かされているのです。愛は関係であり、物語を生みます。この受難節、神と人から「受」けたものを一つひとつ思い返してみましょう。一つひとつ丁寧に辿っていく時、そこに主がおられます。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネによる福音書17章3節)