06 │2024年2月11日

岡山バプテスト教会


週 句 わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き わたしの祈りの家の喜びの祝いに 連(つら)なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえを
ささげるなら わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。 わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
聖書   イザヤ書56章7節

説 教 「キリストを頭とする教会」 杉山いずみ牧師 
聖書   エフェソの信徒への手紙1章15~23節

 岡山教会への礼拝訪問は7年ぶり2度目となります。今回は教会員と共に訪問することができ、嬉しく思っています。会堂建築を終えても、なかなか元気がでなかった徳島教会が、コロナ禍においてたくさんの新しい仲間を与えられ、今は教会がとても祝され、感謝しています。徳島教会が祝されているなら、その恵みを分かち合いたいと、積極的に他教会との交流をしています。現在、徳島教会にはインドネシア、ネパール、中国、アメリカ、オーストラリア、南アフリカ、フィリピンなど出身の方たちが礼拝に集っています。ろう者がいたり、里子がいたり、社会的にはマイノリティーと思われる人たちが集っていることで、もはや誰もマイノリティーである居心地の悪さを感じる必要がなくなるのだなと感じています。
 会堂建築をする時に、「だれもが安心して入れる教会、」「カフェのような教会」を目指していましたが、今まさにそのような教会になってきていることを感謝しています。
 岡山教会の会堂建築の歩みが主の導きの内に成りますように、とお祈りしています。会堂建築をする際に、「キリストの教会を建てる」と繰り返し話をしていました。人の好みはそれぞれなので、みんなが自分の思いで教会を建てたいと思ったなら、争いが起き、一致をすることはできません。「キリストを証しする教会を建てる」「隣人が入りやすく安らげる教会を建てる」その思いを共有しながら、キリストを頭とする教会を建てるべく取り組んだつもりです。徳島教会の場合は、会堂が建った後、教会が新たに変えられていくのに数年かかりました。会堂=教会ではないと思わされながら、新会堂が温かい教会の交わりの場となることを祈ってきました。キリストを頭とする、キリストの教会として、岡山教会が新たに建てられていくことを祈り願っています。 (杉山いずみ)