週 句 すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。
聖書 エフェソ3章9節
説 教 「深刻な誤解」 高橋周也牧師
聖書 ヨハネ6章1~15節
「すれ違いのストーリー」
今日の説教題は「深刻な誤解」としましたが、私が説教題にネガティブ表現を使うのは、おそらく牧師になって初めてのことではないかと思います。これにはもちろん意図があります。今朝の箇所(ヨハネによる福音書6章1~15節/業界用語では「5000人の給食」と呼ばれます)を読むとき、注意深く読むと、15節で、イエス様とは人々の間にすれ違いが起こっているのですが、私たちはほぼ無意識に「給食」そのものに焦点を当てて、15節を読み飛ばしてしまうのではないでしょうか。ひょっとすると、これは私たちが資本主義社会・経済至上主義にどっぷり浸かって生きているからかもしれません。ですが、この「すれ違い」はこの後、6章後半で展開される「命のパン」についての教えをきいて、たくさんの弟子たちがイエスの話を「ひどい話だ」と憤慨し「離れ去っていった」ことへとつながっていく、大切なところなのです。
人々はイエス様を地上の権力をもつ王としようとしました。対して、イエス様が「王」という時には、神の啓示を意味していたのだということが、後に18章のピラトとの問答からわかります。十字架刑の罪状書きは「ユダヤ人の王」でしたから、この群衆の誤解がイエス様殺害につながっていったということなのです。
キリストの弟子の多くが離れ去った出来事は、同時に、ほんのわずかに真の弟子が残ったことをも意味します。イエス様は12人に問いかけました。「あなたがたも離れて行きたいか」―なぜキリストの弟子は、「それでも」主に従っていくのでしょうか。